自粛とモノづくりについて思うこと

録音しておいたお笑い芸人の深夜ラジオを聞きながら、剪定作業をするのがたまらなく心地良い。中学の頃も、部屋に引きこもり、好きなロックバンドの曲を詰め込んだMDをコンポで再生しながら、朝から晩までガンプラづくりに興じるのが何よりも好きだった 思えば、幼い頃から、何かに没頭していたいという欲求が常にあった。だから、自分にとって、頭の中を空っぽにしてモノづくりに没頭する時間を持つことは、ありとあらゆるしがらみから心を解放するための「儀式」のようなものだった。ガンプラづくりが剪定作業に変わっただけだから、良くも悪くも、きっと中身はあの頃と何も変わってないんだろう。世の中の状況や仕組みが大きく変化して、自分の内面と向き合う時間が圧倒的に増えた今、子供の頃は確かに持っていた、あのモノづくりに対する純粋な気持ちが、どんどん蘇ってきているのをヒシヒシと感じている。いや、蘇ってきているのではなくて、「自由にアクセスできるようになった」と表現した方が適切かもしれない。 ここ数年、好きだったはずの畑に行くのが億劫な日もあったりしてモヤモヤしていたけど、そのモヤモヤが、いつの間にかすっかりなくなって、今は毎日、自分でも驚くほどワクワクしている。不謹慎かもしれないけど、困難で、理不尽で、いかんともしがたい現実が目の前に現出したからこそ、自分が生きていることを強く実感できるようになったし、毎日おいしいものを食べられることのありがたみを、以前にも増して噛み締められるようになった。 僕にとって、モノづくりとは「神聖な儀式」であり、「救い」だ。だから僕は、これから先も、どんなことがあってもモノを作り続けるだろう。

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