自然にある全てのものは法とともに行動する 自然と人間の関係性について思うこと


路地栽培をしているウチみたいな農家は、雨が降ると畑仕事が全くできなくなります。


「晴耕雨読」という言葉がありますが、農業を始めてからというもの、晴れの日は野良仕事、雨の日は静かに自室にこもって読書と相場は決まっていたものの、ここ数年は、VoicyやNewsPicksなどの配信サイトをなんとなく聞き流しながら、商品の発送作業をやってます。


皆さんの中にも、通勤時間や隙間時間、作業中にこうしたメディアを活用されている方は多いんじゃないでしょうか?


最近、上述のメディア内で、「昔ながらの暮らしを見直す」だとか、「自然と繋がる」だとか、「地球に優しい〇〇」だとか、そんな感じのキーワードがタイトルに入っているコンテンツをたくさん見かけるようになりました。これは明らかにSDGsが浸透してきた影響かと思うんですが、今回は、「自然と人間の関係性」について自分の考えていること、感じているいることを書いてみたいと思います。


自然にある全てのものは法とともに行動する


これはドイツの哲学者カントが残した有名な言葉で、以前読んだ本のなかで紹介されていてとても印象に残っているのですが、農業を始めた9年前は全然ピンと来ていなかったものの、最近になって彼の言わんとすることが何となく分かるようになってきた気がします。


農業は(特に有機農業・自然農は)、当たり前ですが自然ととことん向き合う仕事です。なので、ウチの場合、基本的にオンシーズンは、農園を一緒に運営しているパートナーと彼女の息子と共に、土をいじったり、雑草を刈ったり、草むしりをしたりしています。あと、2年くらい前から、普段の会話の中で天気の話題がよく上がるようになりました。天気の良し悪しによってその時々の作業内容を柔軟に変えていかなければならないので、雲間の微妙な移り変わりにも常に気を配るようになるんです。


そんなこんなで農業をしばらくやっていると、土のなかに生きている虫・微生物のうごめきや、風の匂い、空の景色の移り変わりなど、自然の動きを常に積極的に感じ、観察する習慣が否が応でも染み付いてきます。


そうなると今度は、自然界の数学的な秩序と調和を、ロジックではなく肌感覚で感じ取るようになっていきます。例えば分かりやすい例でいうと蜘蛛の巣。普段は別段フォーカスすることもないような、なんの変哲もない小さな蜘蛛の巣でも、畑で毎日のように見ていると、次第にその形の見事さや精巧さに気付き、「よくできているよな〜」と感心するようになるんです。


今年はパートナーの息子が野菜づくりに熱烈な感心を示し始めたので、今ちょうど一緒に苗床の土作りをしているところなのですが、以前は畑で退屈そうに過ごしていることが割と多かった彼が、土の中にいるミミズやダンゴムシを見つけると目をキラキラと輝かせて、「凄い形してるな〜」と感嘆の声を上げるようになったのも嬉しい変化でした。


あとウチの農園ではブルーベリーの花の受粉用にミツバチを飼っていて、パートナーがお世話の仕事をやってくれているのですが、彼らの生態や群れの仕組みを理解していくにつれ、その複雑さには本当に驚かされます。たまに巣箱を見守りながら、「本当に凄いよね」「面白いよね」などと語り合っています。


ちなみに僕が最近特に感心したのは、春先になるとブルーベリーの木に付く毒蛾の幼虫(毛が風に舞って衣服に付着すると、たちまち全身がかぶれて痒くなるなかなか厄介な虫)の群れ。小指の先ほどのサイズの小さな小さな毛虫が何十匹単位で、ネバネバの糸を枝の先に絡めてそこに群生しているんですが(最初見るとめっちゃ気持ち悪いですw)、こいつらの生存戦略が本当によくできてるんですよ。


例えば群れを一網打尽にしようと思って、彼らが付着している枝を根本から剪定バサミで切るとします。すると、ハサミの刃先が枝に触れた僅かな振動をキャッチして、ネバネバの糸に絡みつきながら、パラシュートで降下するみたいに一匹一匹がゆっくりと地面に落ちていくんです。一度地面に落ちてしまうと、体が非常に小さいので見つけるのはとても困難。長靴で踏みつけても、柔らかい地面と雑草が衝撃を和らげるクッションになるのでなかなか潰せません。


それで、諦めてそのままにしておくと、今度は一匹一匹がそれぞれのペースで木の幹をゆっくりとよじ登り、2日後くらいには再び元いた枝先に集まって、何事もなかったように群れを形成し直すんです。


外敵に襲われたら、

すぐさま散解

避難

個別に移動

集合


これが彼らが自然界で生き残っていくために獲得した戦略で、彼らやハチだけに留まらず、畑で目にする生き物や植物をつぶさに観察していると、その多様性と複雑性には感心させられるばかり。


人間の話に移りますが、今後20~30年間は人類史上最大の変革期になると言われていて、特にこれからの時代は、テクノロジーの発達に伴って人間の潜在能力が飛躍的に拡張するのではないかと予測されています。


が、地球から食べ物と飲み水を得ている以上人間はあくまでも自然の一部なので、自然界に純然として存在する「法」から逃れて生きていくことはできないと常々実感するんですよね。


農業が人間社会の基幹産業であることに対して異論の余地はないかと思いますが、やはり仕事である以上、自然の法に逆らって(人間にとっての)生産性を優先させなければならないことも多々あります。でも、あくまでも自分たちは「自然の恵みをおすそ分けしてもらってる」という謙虚な気持ちを忘れちゃいけないな、と特に最近は強く感じています(←すいません、これはモロにパートナーの受け売りですw)


自然に対する人間の姿勢の変化については歴史作家の司馬遼太郎さんも色々な著書のなかで再三再四触れていて、特に小学生に向けて書いた「21世紀を生きる君たちへ」という本のなかに僕の大好きな一節があるので、ここで紹介します。


おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。

この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。

この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、

君たちへの期待でもある。


人類の長い歴史の中では、近代化(大規模農業の拡大→産業革命による労働生産性の飛躍的向上→資本主義経済の発展までの一連の流れ)はほんの一瞬の出来事でしたが、この間に、多くの人が便利さを手に入れるのと引き換えに自然に対する素直さを失ってしまったんじゃないかと思うんです。(特に20世紀は、自然をコントロールすることによって物質的な豊かさを盲従的に追求した、ある意味特殊な世紀だったと思います)だけど、21世紀に入って20年ほどが経過したここ最近は、司馬さんが予言していた通り、人間は急速に自然に対する素直さを取り戻してきているように感じるんですよね。


農業は大胆かつ大雑把に分けると慣行栽培と有機・自然栽培の2種類に分けられます。慣行栽培の主な役割が十分な食料を国民全体に行き渡らせることだとすれば、少量生産がメインの有機(自然)栽培の役割は、やはり人々の「体と心の健やかさを育む」ことだと思うんです。


ありのままの自然の恵みを近に感じられる青果物や商品を通して、子供も大人も、自然に対して感心する素直な気持ちを育んだり取り戻したりするお手伝いができれば、僕たち自然栽培農家にとってこれ以上嬉しいことはありません。もちろん、僕自身が地球に対して完璧に優しい人間かといえば全然そんなことはないわけで、日々温室効果ガスを排出しながら生きているし、資源を無駄遣いしてしまう時もままあるし、褒められた人間では到底ないのですが、僕たちがこうして自然農を続けているのは、やっぱり自分たちの商品や活動を通して、微々たるものでも「地球の役に立っている」ことを実感したいからだと思うんです。


今年も早くも半年以上が過ぎ、もうすぐ収穫期に入ります。今年も皆様に最高のベリーをお届けできるよう、スタッフ一同力を合わせて、大自然に囲まれて仕事ができる幸せを感じながら頑張りすぎずに頑張っていこうと思っていますので(最近、必要以上に頑張らないことが自分のなかでキーワードになってます)よろしくお願いしますm(_ _)m


最後まで読んでいただきありがとうございました!

特集記事